新旧キャリー比較

このビジュアル最高

Carrie/2013/キンバリー・ピアース/アメリカ/100min



吹き替えですが、キャリーのリメイク版を観てきました。
 以下、原作は未読ですが、ブライアン・デ・パルマ版と比較してみようと思います。 


76年版が体育の授業から始まり件のシャワーシーンにすぐに移行するのに対し、新キャリーはジュリアン・ムーア演じる母マーガレットが快楽に負けキャリーを産んだと告白し祈りながら自宅で出産する場面からスタートする。この冒頭があることで、この映画は女性の話なのだということが強く印象づけられる。
76年版でのキャリーは痩せっぽっちでおどおどとした、母に従うことしか知らない刹那的な少女だった。それがテレキネシスを開花させ少しずつ自我を持ち、そこから悲劇が生まれ、最期は母と共に土へと帰る。
 本作の監督、キンバリー・ピアース。彼女と言えば99年の「ボーイズ・ドント・クライ」が有名だろう。未鑑賞なのだが、他サイトであらすじを読む限り、トランスセクシャルのヒロインが、男性として生きようとする物語だという。彼女が撮った「キャリー」にも、そのような男性と女性の性の違いが、それもキャラクターの描き方や監督の表現したかったものという形で、濃厚に出ているように思われる。デ・パルマがホラー映画として「血塗れた呪われたプロムクイーンの出現(どこか聖者の復活を思い起こす)」を描いたのに対し、ピアースは「女であることを拒みつつも自然現象に逆らえない親子と周囲の『女』たち」という構図を、ホラーの様な手法で描いている。ジュリアン・ムーア演じる母マーガレットは快楽に負けキャリーを産んだと告白し祈りながら自宅で出産した。またその後もキャリーとの絡みが76年版以上にあり、会話もかなり多い。この冒頭とマーガレットの登場シーンが多くあることで、この映画は女性と女性であることの葛藤を描くということに重きが置かれていることがわかる。
僕は76年版の方が圧倒的に好きだ。不気味で、シシー・スペイセクは魅力的で、あのプロムの一通りの場面。どの場面もゾクゾクする。



2013年版キャリーの原作は多分、小説ではなく1976年版なのだろう。話の筋も、挙句時間の経過までも、ほとんど同じだった。しかし、キャリーという「少女」の描き方は全く違う。ここで僕が感じたいじめられっこのプロムクイーンについて述べようと思う。キャリーという少女が手に入れた超自然的な力や血液というメタファーは、原作を読み論じるべきことだと思うので割愛する。 



しかし13年版の彼女はどうだろう。クロエ・グレース・モレッツが健康優良児にしか見えないことはともかくとして、超能力を開花させた彼女は母親に刃向かい力でねじ伏せる。最後も母親殺しを76年版以上のスケールで描いていた。最早やり過ぎと言うか、X-MENでも観ているような気分になる。だがそれは初潮を迎え超能力を開花させたキャリーは「女性」というよりもある種の男性であり、彼女が女すらも超越した存在であることを表現しているのだろう。


「ボーイズ〜」を観ていないのであまり突っ込んだことは言えない。しかしながら彼女の撮った作品の視点は女性的であり、また各々のキャラクターの主観が現れていたように思う。 デ・パルマが傍観者に徹し、キャリーとその周囲、起こる事象を淡々と描いていた。 対してピアースのキャリーでは、それぞれの登場人物の感情を仔細に、女性の陰湿ないじめ、娘の母に対する反抗、何よりも、彼女の生まれた瞬間から描いている。ホラー映画とうい言うよりも、これは「女性」の映画なのだ。それが僕がこの作品に対し奇妙な、ホラー映画を観ているときに感じるのとは違う居心地の悪さや恐怖感をもたらす原因なのだろう。


リメイクを非難するつもりはない。これはこれで女性問題というのを提起し、濃密に表現しているから。ただ「キャリー」として観ると、僕は少し違うと思った。

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