ビッグ・アイズを観ました

マーガレットさんご本人

Big Eyes/2014/ティム・バートン/アメリカ/106min



同監督の実話を元にした作品「エド・ウッド」は未鑑賞なので、本作との比較のためにも観たいです。



淡々と刷られていくオフセットのプリントが現代的なアートの楽しみ方を表すかのような冒頭。そして始まる物語はまぎれもなくバートンの色彩と構図を見せる。だが物語自体は実話を元にした、割りと思った通りのカタルシスのない話でありつつも、同じく絵を描く僕には興味深いものだった。

あらすじ
本作の舞台はまだ女性の権利が低かった1958年。横暴な夫の下から娘と彼女の作品と少しの荷物を持って逃げ出す主人公マーガレット。その後彼女は次の夫となる画家のウォルターと出会う。夫婦で展覧会を開く彼等。しかし作品が売れたのはマーガレットの方だった。慎ましい彼女はオリヴェッティに作者を訪ねられるも名乗ることが出来ず、ウォルターがしゃしゃり出たことにより、二人の関係はこじれていく―といった内容。

作中で「女性だと売れない」ということをマーガレットは言っていたが、当時の女性が絵を描くことは珍しいことであったと僕は思わない。16世紀にアルテミジア・ジェンティレスキというカラヴァッジオ派の女流画家がおり、彼女の描いた「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」は女性にしか描くことの出来ない妙な醜悪さとグロテスクさ、そしてリアリティに満ちている。そこから女流画家の系譜が始まると僕は考える。近代だとローランサンやレンピッカも居た。彼女達は自立した女性だったと言える。画家の娘であったり未亡人だったからそうするよりなかったからだ。イオネスコもそうだろう。一方マーガレットには夫があった。そしてあまりにも彼女は慎ましくしとやかな「女性」だった。そのため彼女は金の卵を産むガチョウや狭い鶏舎に閉じ込められた雌鳥の如き扱いを受けることとなる。そしてそれはどこか、彼女は一人で絵を描いていたが、中世ヨーロッパの工房生産を思わせる。マーガレットのウォルターとして作品を発表した10年間の作家人生は、前述のアルテミジアにも繋がる。彼女は父のオラツィオ・ディンティレスキの工房で学び、才能があったものの、女性であるがために辛酸をなめた。現代の女流作家の系譜は、このような先人の上にあるのだろう。
アーティストとは自己主張をいかにするかというところに重きが置かれると思う。そして出ていけば賞賛もされれば批判もされる。それが人前に出るということだ。彼女は自分が女であるため、また夫が既に彼の作品であると言ってしまっていたが為に、訴訟を恐れ、出て行くことが出来なかった。それはアーティストになると言うスタートにすら立てていない。だが一方のウォルターは批判を受けることを、例えそれが自分自身の作品でなくとも、良しとしなかった彼もまたアーティストには向いていなかったのだろう。そしてそこに僕は描いても(書いても)発信することの出来ない自分自身を投影した。

マーガレットは訴訟を恐れ、そのため夫の成り済ましをよしとした。別居しハワイで新興宗教に出会った彼女はついに裁判を起こす。その裁判で勝訴したところで終わるのが本作にカタルシスがあまり感じられない原因だと思う。だからといってそれ以上でもそれ以下でもないのが実話なのだ。彼女は存命で、ウォルターは亡くなった。それもまた事実だ。訴訟と結婚/離婚の問題がなんともアメリカらしい。宗教に救われるのも欧米的で興味深い。人生とはそんなもので、「事実は小説よりも奇なり」なのである。
ただ物語はアーティストに訴えかけてくる。バートンも絵を描く。彼はディズニーのアニメーターを努めていた。アニメーションスタジオは一種の工房で、彼もまた奇妙な絵を描く。この共通点が彼をこの作品を撮るに至らしめたと思われる。

50年前、彼女の描く大きすぎる目を持つ子供達はあまりに奇妙で鮮烈だったことは想像に難くない。しかし今はそのような絵が溢れている。それでいて同時にハーパーリアリズムがトレンドでもある。アートが多様化し、そしてそれを受け入れる土壌が育ったと言うべきか。
今から100年程前、アドルフ・ヒトラーは美大の入試に落ちた。同じ会場にはエゴン・シーレが居たという。ごく普通の風景画を主に描いていたヒトラーは失敗し、暗く強くデフォルメがなされた絵を描くシーレはその後も画家として成功した。その後政権を握ったヒトラーはアカデミー的な絵画を多く集め、バウハウス等のドイツで起こった先進的な集団は亡命を余儀なくされた。そして敗戦を迎え、独裁者は悲しい最期を遂げる。偶然だろうが、焦土と化したベルリンでスケッチしたとウォルターが言ったことと彼が無一文で亡くなったことが思い起こされる。新しい潮流はいつも歓迎されるわけではなく、歓迎されたとてまた糾弾されることもある。現在マーガレットの名前が聞かれないことはこのような栄枯盛衰を思わせる。そしてこのように映画化されることにより再び注目を浴びるというのも昔からあることだ。

彼女の絵は素人臭い。テクニックがなくデッサンも貧弱だと思う。だがその描く瞳や子供というテーマはしっかりとしており、不思議で、魅力がある。それはもう作家なのだ。本作でまた87歳の彼女が脚光を浴び更に作品を作るのは素晴らしいことだ。忘れられるのも仕方がないことだが、作品が残ればいつまでも彼女はどこにでも存在出来る。表現者は発信しなくてはならない。

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