魔法少女って地味に歴史長いのな(マジカルガールの感想)

シュールすぎる画

Magical Girl/2014/カルロス・ベルムト/スペイン/127min

お久しぶりです、また放置してました。

かなり前にマジカルガール観たよ。とんでもねえ映画だったよ。何がとんでもねえかって全部だよ。観れば解るよ、人を選ぶ作品だけど。10月4日円盤発売なので気になる方は是非。邦画好きな人のほうが楽しめるかも。

あとどうでもいいけど魔法少女の英訳ってmagical girlなんですね。なんか違う気もする。



一瞬何が起きたかわかんなかった。描いた人誰。

魔法少女ユキコに憧れる12歳の少女アリシア。だか彼女の身体は白血病に侵され余命幾ばくもない。元教師で失業中の父ルイスは、娘のノートに書かれた「ユキコの服を着て踊りたい」という願いを叶えようとするが…

これが物語の大まかな粗筋なのだが、これが予想外の展開に次ぐ展開を見せるのだった。

僕は「魔法少女ユキコ」という架空の日本産アニメが、この西洋で展開される物語にどう絡むのかという好奇心で観に行った部分が大きい。だがこの「ユキコ」はただの導入でしかなかった。これ以上ネタバレしてしまうと物語終盤の妙なカタルシスが味わえないので、今回日本文化がどのように作品に表れていたかについて論じようと思う。これは所謂従来的な「ジャポニズム」とはまた少し違う性質を持っていたように思う。

アジアのエキゾティシズムが新鮮だったのか、19世紀中頃に欧州でジャポニズムやシノワズリが流行した。当時ヨ欧米で開催された各種万博で日本が紹介されたことを切っ掛けに、ゴッホ、モネ、マネらがそのきらびやかなテキスタイルや日本式の庭園、屏風や浮世絵作品を画布に収め、ロートレックはリトグラフで浮世絵をフランス流に再構成した。マイセンは有田や九谷を模した陶磁器を製造し、輸出向けにつくいられた薩摩焼が逆輸入で日本でも人気を博すということもあった。以来、その流行はある程度の地位を築き、もはや流行の域を超えスタンダードとなり、現在にも多大な影響を残している。現在日本政府が「クールジャパン」としてアニメ等のコンテンツの輸出を強化しているのは、21世紀のジャポニズムであると僕は見なしている。
21世紀のジャポニズム。それは20世紀のアニメコンテンツの成功を踏まえているといえるだろう。1990年代に人気を博した「セーラームーン」は良い例だ。日本国内のみならず諸外国でも爆発的な支持を得て、未だに変な派生コンテンツが海外でも作られている。それが25年ほど前だが、なんでもスペイン及びイタリアでは(明確なソースが出せないが)30年前から「魔法少女」というジャンルの日本アニメを放映していたらしい。余談だがスペインでは1970年代に放送されたマジンガーZが大人気だったらしく、タラゴナという街のサンタ・マリア広場には、版権元に無許可で設置されたマジンガーが現在も人々を見つめている※1。さらに余談だがメキシコのギレルモ・デル・トロ監督も幼少期ウルトラマンを観て育ったために「パシフィック・リム」を完成させているので、スペイン語圏やラテン系の人々には日本の物語は受け入れやすいのかもしれない。

先に述べたようにジャポニズムという風潮は欧米に浸透し、一つの表現手法として確立された。例えばルネサンス以降の西洋絵画がパースペクティブを用いて風景と人物を画面に納めていたのを、浮世絵的に画面下部を地面に見立てるような表現が取り入れられた。マネの「笛を吹く少年」にそれは見られる。ロートレックの大胆な人物の切り取りは大首絵を思わせ、ミュシャの色彩はどこか素朴で日本的だ。飽くまでその当時の「ジャポニズム」は、アジア的な表現の模倣であるという側面が強かったように思われる。それから150年を経てジャポニズムも変容を遂げた。

グローバル化が叫ばれ早幾年。インターネットの発達により海外とのやり取りは格段に楽になった。専門店でなくともニッチな商品は世界中から購入できる。YouTubeやVimeo、Dailymotionのような動画サイトでもっと楽に無料で(違法なものも中にはあるが)海外の動画コンテンツを楽しむことができるようにだってなった。そして極めつけは格安航空券の登場だ。ほんの20年くらい前まで考えられなかったような安価で海外旅行が可能なのである。現代に生きる人々は当時「ジャポニズム」に熱狂した者よりも、対象物により簡単に、だが深く触れることができるようになったことは想像に難くない。また先述の通り、スペインでは70年代にはマジンガーZが放送されていた。幼少期に触れたものが興味関心の対象になることも道理だ。そうした日本製コンテンツを子供の時分から消費し、インタビューに答えて曰く、現在は一年のうち4、5ヶ月を日本で過ごし脚本を書くという(最早スペイン人ではない気もする)漫画家が本作の監督:カルロス・ベルムトなのである。夢中になったのは「ドラゴンボール」。「NARUTO」に感銘を受けその後も手塚治虫に水木しげる、浦沢直樹らを読み漁り、大島渚の映画も観た。これだけ日本に影響を受けた彼であっても、文化的背景はスペインにある。スペインは王室を持ち、ファシストによる独裁が敷かれた歴史がある。これは第二次大戦時の日本に多少なりとも似ていると言えよう。だがそんな歴史的な背景よりも、やはり幼い頃に触れたもののインパクトは絶大だ。スペインという土地で幼少から日本文化を消費してきた人間が、日本的な思考を自分の内で昇華させた結果生まれたのが、この「魔法少女」なのだ※2

「マジカルガール」に於いて、今まで表面的だったジャポニズムは内面的なジャポニズムとして表現されていたように思われる。「ユキコ」の衣装を手に入れるという物語の始まりは世界的によくあるものかもしれない。そのために男の辿った道は、フランスやアメリカで流行したフィルム・ノワール然としている。中盤でバルバラという女が入った部屋の扉の上に描かれる蜥蜴。それが意味するところは宿敵としての男女問その宿命だった。その後の物語は宿敵と宿命が命題となるが、それを多く語ることなく物語は幕を下ろす。日本の仇討を彷彿し、それはある意味で侍的だ。黒澤明の「蜘蛛巣城」はハムレットを元にしているが骨太な時代劇になっていうるのは、日本人がその物語の普遍性を日本の精神と絡めたからだろう。この「魔法少女ユキコ」とバルバラという運命の女に翻弄される様子は江戸川乱歩の「黒蜥蜴」が意識されているのは、エンドロールで流れる丸山明広の歌う「黒蜥蜴」からも明白だ。明智小五郎と女怪盗黒蜥蜴のように、男と女は互いに騙し合い弱みを握り合うのだった。だが2+2=4になるように、最後には闘牛士が勝つように、物語は普遍的で予定調和だ。普遍的な物語をスペインで作っておきながら、この映画には日本的なバックグラウンドが感じ取られる。社会や構造の普遍性の内に語られる日本の精神。その鋭い指摘と言及が本作に不思議な魅力を与える。



※1. これを聞いてスペインに行った時にユニクロで買ったマジンガーZTシャツを着ていたが全く反応してもらえなかった。マドリードだったからだろうか。
※2. 先に述べたとおり、ギレルモ・デル・トロ監督も幼少期「ウルトラQ」で育ち「パシフィック・リム」を作り上げた。やはりスペイン系には受け入れやすい理由があるのだろうが、それについては詳しくわからないので勉強したい。

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