カリガリ博士の考察

W.ライマンによるスケッチ

Das Kabinett des Dr.Caligari/1919/ロベルト・ヴィーネ/ドイツ/71min(オリジナル)


以前友人に「カリガリ博士」 についての考察を求められたとき、気の利いた返しが出来なかったので少し心残りに思っていました。改めてこの古典を観て、(初期)映画への理解を深めたいと思います。




実際のセット


始めに

エジソンのキネトスコープを映画と呼ぶのなら、その発明は1893年と言える。最初はただ駅の雑踏を写して人々の往来を記録し、またこちらに向かってくる汽車を撮っただけの映像だったが、初めてそれらの活動写真を見た人々は本物と見紛い恐れ戦き逃げ出した。その後ただの映像は物語性を帯びた短い作品という体裁を整え始める。1900年代初頭、手回し式のカメラを使っていた映像の魔術師ジョルジュ・メリエスは、撮影途中に偶然カメラが故障したことで編集した映像を作ることを思いつく。彼の「月世界旅行」(1902)は最初のSF映画であると同時に、今もなお色褪せないエンターテインメント性と芸術性を兼ね備える。それから17年、本作は生まれた。

カリガリ博士という映画

カリガリ博士の家
映画「カリガリ博士」が作られたのは1919年と、今から実に96年前に遡る。奇しくも同年締結されたベルサイユ条約によりドイツは多額の賠償を支払い、また領土も分割統治されることとなった。このような辛酸を舐めたドイツでこの映画は作られ、そしてその後政権を握るナチスドイツは映画をプロパガンダとして上手く利用したのはまた別の話だ(だがこの時代背景は多少なりともこの奇妙な映画に影響していると思われる)。

物語は、ある街にやってきた山師カリガリ博士が夢遊病者を操って殺人を行っていたというもので、それを主人公のフランシスが回想するという造りになっている。回想という主観的な語り口であることをいつしか忘れた我々に待ち受ける結末は(現在では使い古され古典となった表現ではあるが)あまりに衝撃的であり、「精神に異常をきたしたものによるどんでん返し」ものの始まりであるとも言える。

異常なまでに歪んだ室内
精神病院の中庭
実はフランシスの気が狂れているのではないかということがわかる描写は随所にある。表現主義の画家W・レーリヒやW・ライマンによる不気味な舞台背景は写実とはほど遠く、象徴的で内面的だ。それはまるで(終わってみると)フランシスの精神世界なのだ。カリガリ博士の小屋は地面と垂直にはなっておらず大きく歪み、また精神病院の院長室のドアは奇妙な斜を作る。家具も風変わりなものが多く、壁にはよくわからない大振りな模様が描かれる。しかしフランシスの語りや精神病院の場面になると、ごく普通の木陰にたたずむ彼等の姿や美しいレンガ敷の中庭、そして歪むことなく真っすぐに立つ病院の建物が現れるのだ。回想の中の病院も、一度現在の事象に戻り引いて見た病院も同じセットの使い回しであるのだが、それが妄想と現実をつなぎ止めるかのような役割を果たし、また筆者が指摘するフランシスの心理描写以上に、この物語の異常性を際立たせる効果もある。それが見事に功を奏している。そしてこの病院という空間にはカリガリ博士だけではなく、眠り男チェザーレも婚約者ジェーンも居る。そうすると病院の中の人間を演者に、フランシスという男の内部(精神)という大変に閉鎖的な空間でこの「事件」は「作られて」いたのだ。実は我々は「一人の信じられるかも定かではない人間による情報」だけに惑わされていたのである。そしてこのような精神という内側を描く手法は、表現主義という運動の特徴を如実に表している。
だがフランシスの親友アランはこの場に居ない。それは彼だけが実在しまた死んだということを意味するとも受け取ることが出来る。それどころかフランシスがアランを殺し、それ故に気が触れたと読み取ることも可能なのだ。だがこの物語は先程述べたように、「一人の人間の中で完結した物語」でもある。しかしながら同時に、我々観客に物語は開かれ提起されている。これは我々に与えられた問題なのかもしれない。人はかくも脆く奥深い生を生きている。
「外」の世界にアランは居ない

心理学

フロイトの心理学という考え方はこの当時発表されており、学問的にも認められていた。きっと100年前のことを我々は見くびりすぎている。この時代には既に整形手術(再建手術と言った方が適切かもしれない)は存在し、第一次大戦で負傷した多くの兵士に施されている。「あの時代にこのような作品が作られたとは」と思うかもしれないが、この様な事実を見れば、表現主義の流れに組み込まれたこの作品に心理学を見いだすのは必然であるようにすら思えるし、心理学が発達したからこそ、表現主義という表現が生まれたとも考えることが出来る。
チェザーレは箱の中で25年もの間眠りについており、事件が起こるのは皆が寝静まる夜だ。これらは象徴的な事象である。フロイトの精神モデルに無意識を可視化した氷山のモデルがある。我々の意識はまさに氷山の一角なのだ。自我と超自我に抑圧された、意識を遥かに凌駕するほど身体に奥深くに眠る無意識は、夢となり現れる。それが眠り男であり、そして精神を病んだ男が見る未だ醒めぬ夢なのである。

ドイツ表現主義

W・レーリヒによる本作の水彩スケッチ
先述の通り、ドイツ表現主義と呼ばれた一派によりこの作品は作られており、舞台セットもさることながら、物語自体もその影響下にある。また表現主義(Expressionismus)の対義語は印象主義(Impréssionnisme)である。余談であるが、「ドイツ」と冠するのは日本独自の呼称らしく、それはドイツが中心となった運動であるからのようだ。
印象派の方はなじみ深い言葉であろう。見たものを写実的に描く古典的アカデミズムに反発した画壇の運動で、画家が画布に表現したのは物語ではなく物体であり、また個々の物象ではなく時間の経過やその空間の持ち合わせる全体的な空気であった。荒々しく画面に残るブラシストローク、生のままの絵の具、理想化されない人体、俗物的な主題は当時大変に衝撃的であった。それ故に多くの批判を生むも、現在その考え方は受け入れられまた人気のある絵画ジャンルになっている。この印象派と更に相反した流れが表現主義である。表現主義は物質を描かず、個人の自我や魂の主観的表現を主張するものである。「カリガリ博士」は精神病院という場所が舞台で、そしてある男の精神という主観的な視点で繰り広げられた物語である。これは表現主義の特徴と合致し、また作った人物もその潮流の中の人々なのだ。また表現主義には「ブリュッケ(橋派)」と「青騎士」という二つのグループがあったが、どちらも第一次大戦の煽りを受ける等して解散している。しかしその精神世界を描くという試みはその後シュルレアリスト達に受け継がれた。現代的な芸術はその後ナチズムの下に弾圧されたのも興味深い類似である。ただしシュルレアリスムという言葉はフランス語で「現実を超越した」という意味であり、故に写真という究極の具象やリアリズムを追求する側面も多分にあるということを忘れてはならない。踏襲しつつも両者はまた対立する面も持ち合わせているのだ。

終わりに

映画作品に関わらず、大衆的な事物は時代背景とその当時の潮流を色濃く映し出す。序文で述べたが、本作は敗戦後の暗い時代のドイツに於いて作られた。心理学もドイツ語圏で発達しており、土壌は整っていたのだ。偶発的な事象が発端となりつつも全ては必然であり、だからこそ作品は受け入れられるのである。「カリガリ博士」が名作たり得るのも時代を反映し、そしてその時代一般化しつつあった精神世界という普遍的で且つ奥深い事象を描いた結果なのではないか。

今後もたくさんの名作が作られるだろう。それらが語り継がれるには新しい試みも必要であろうが、普遍的な事象を描き、そしてそれをどれほど掘り下げることが出来るかという部分にかかってくるのかもしれない。そこに問いを置くことにより、後世にも問題を投げかける。それが古典名作なのだと思う。



現在はパブリックドメインなのでYouTubeで全編視聴出来る
眠り男ことチェザーレのビジュアルや歪んだセットと等芸術面の美しさが際立つ



※本当は舞台芸術的な部分にも触れたかったが、筆者の構成力が未熟なために書くことが出来なかった。いつか表現出来る機会があればと思う。精進します。

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